適当に書き進めていく何か

今使ってるアイコンは
ハダカデバネズミをイメージして描きました


ハダカデバネズミはなあ!真社会性の哺乳類/脊椎動物としてめちゃ有名なんだよ!
ええとつまりだな!一人はみんなのためにでみんなは一人のためなんだ!
嘘!
真社会性ってのは兵隊は使い捨て。
個人主義という概念が人間特有のもので、動物に対して人間的価値観を求めるのは独りよがりの妄想。
使い捨てされることが彼らにとって幸福であり適応度の最大化なんだ。



ところで適応度の最大化と幸福は切っても切れない関係にあり、人間の数々の行動もこの関係を基本に理由づけをすることができる。



<どこかに収まるはずだが書き散らし>
ルールの存在とは
ルールとは一定の基準を提示することで社会的な利益を最大化するためのものである。
たとえば自動車は2.5m以下と決まっているらしいが、さてこれは2.3mではよくなかったのか。3mではだめだったのか。
2.5mというのは妥当な範囲、というだけで特に意味はない。
ただし、政府がこう決めることで、車庫の設計、駐車場の設計、道路の設計その他諸々の基準に反映され物事がスムーズに進むのだ。
(確か社会学か心理学かの実験で、グループにゲームをさせて。意味はなくても基準を決めた方がスコアが高くなった―というような実験があったはずなんだけど思い出せない・・・誰か知ってたら教えてください)

イケハヤ氏が
”「法律違反だからいけない」みたいな幼稚な意見はダメですよ。”
なんて言ってるしそのフォロワーは
”問題提起!万歳!”
なんて言ってるのを見るとお前らそんなに社会に不利益を与えてうれしいのか、と思うわけです。
ルールとなっているものは議論を改めて初めても大抵の場合同じ結論に落ち着く。


例えば、盗みがいけないことなのか良いことかニュートラルな状態であったとしよう。
今盗みが起きた。盗人をどうするか。悪いことなら二度とやらせないようにしなければ。良いことならば放っておけばよい。さらに褒章金でもやるべきだ。さて良いことだったのか悪いことだったのか決めようか。個人の権利レベルから人の生得的な感情、社会の利益を勘案して、やっぱり「盗みは良くない」という結論に落ち着くだろう。


盗みが起きるたびこのような議論をゼロから始めるとどうだろうか。イケハヤみたいなのが本当に良くないの?、盗みが良い場面もあるよね?なんて極レアな例外を持ち出すし、それに対して今回のネットの反論の様にいろんな方面から喧々諤々の反論が出てくるし、反論の中でも稚拙な部分があってそれだけにイケハヤは食いついてまたまぜっかえすし。
議論をゼロから始めると、とてつもなくコストがかかるのだ。


だから人間は「ルール」や「法律」を発明した。(発明した集団こそが利益を最大化できて残ってきた、というのが生物学的な考え方)

つまり「ルール」とは「利益」のためであり「経済」のためなんだ。
普段「儲けるのがなぜ悪い!」みたいな経済至上主義な輩が「ルール」を否定するのはまったく矛盾した行動なのよね。




*気が向いたときにちょっとづつ書き足したり直したりしていこうかな*